世界の女性たち
科学、教育、スポーツ、芸術、社会活動。それぞれの場所を歩いた五人の話です。
このページは、いろいろな分野で歩んできた女性たちの話を集めた場所です。娘さんが自分の将来を考えるとき、身近に見える範囲だけが選択肢のすべてだと思わなくて済むように置いています。おすすめの生き方を示すためではなく、こういう道もあると知るために読んでいただけたらと思います。
それぞれの終わりに、親子で話し合うための問いを添えました。答えを決める必要はありません。
マリー・キュリー(科学)
マリー・キュリー(1867〜1934)は、目に見えない放射線のはたらきを調べ、二度ノーベル賞を受けた科学者です。生まれたのはポーランドのワルシャワでした。当時、女性が大学で学べる場所はごく限られていて、彼女は働いてお金をためながら勉強を続け、20代でフランスのパリへ渡り、ソルボンヌ大学で物理学と数学を学びます。
パリで出会ったピエール・キュリーと結婚し、二人で新しい元素をさがす研究に取り組みました。鉱物を大量に煮つめて成分を分ける、地道で体力のいる作業を重ね、ポロニウムとラジウムという二つの元素を見つけます。1903年に夫ピエールとアンリ・ベクレルとの三人でノーベル物理学賞を、1911年には一人でノーベル化学賞を受けました。女性として初めてノーベル賞を受けた人であり、科学の異なる二つの分野でノーベル賞を受けた人は、いまも彼女だけです。
キュリー夫妻はラジウムの取り出し方を特許にせず、だれもが使えるようにしました。第一次世界大戦が始まると、彼女はX線の装置を自動車に積んで戦地の病院を回り、けが人の体の中を調べられるようにしています。ソルボンヌ大学で初めての女性教授にもなりました。娘のイレーヌものちに科学者となり、ノーベル化学賞を受けています。
この人から娘に伝えられること
学びたいことがあるのに、その場所が用意されていないとき、あなたならどうするだろう。
自分が見つけたものを、ひとりじめしないで人に渡すというのは、どういう気持ちなのだろうね。
津田梅子(教育)
津田梅子(1864〜1929)は、女性が学問を続けられる場所をつくった教育者です。1871年、明治政府が欧米へ送った使節団に同行する最初の女子留学生の一人として、6歳でアメリカへ渡りました。まだ小学校に上がる前の年ごろです。約11年をアメリカの家庭で過ごし、日本に帰ってきたときには17歳になっていました。
けれども当時の日本には、学んで帰ってきた女性がその力を生かせる仕事がほとんどありませんでした。彼女はもう一度アメリカへ渡り、ブリンマー大学で生物学を学びます。学んだことを自分の中だけで終わらせるのではなく、あとから来る人のために道をつくろうと考え、帰国後の1900年、東京に女子英学塾を開きました。少人数で英語を厳しく教え、女性が英語を職業として教えられるようにするための学校でした。これがいまの津田塾大学です。
2024年に発行された五千円札には、彼女の肖像が使われています。娘さんが手にするお金の中に、この人の顔があります。
この人から娘に伝えられること
学んだことを生かす場所が世の中になかったとき、その場所を自分でつくるという選び方について、どう思う。
自分のためだけでなく、あとから来る人のために何かを残すとしたら、あなたなら何を残したいだろう。
澤穂希(スポーツ)
澤穂希(さわ・ほまれ、1978年生まれ)は、日本の女子サッカーを長く引っ張ってきた選手です。東京都で育ち、十代のうちから日本代表に選ばれました。当時の女子サッカーは、試合を見に来る人も、新聞やテレビで取り上げられる機会も多くありませんでした。所属していたチームがなくなったり、選手が仕事をしながら練習を続けたりすることも珍しくない環境の中で、彼女は競技を続けます。
2011年、ドイツで開かれたFIFA女子ワールドカップで、日本代表は決勝でアメリカと戦い、PK戦の末に勝って優勝しました。澤選手はこの大会でいちばん多く得点した選手に選ばれ、大会の最優秀選手にも選ばれています。同じ年、FIFAがその年の世界でいちばんの選手に贈る賞を、アジアの選手として初めて受けました。この優勝までに、彼女はワールドカップの舞台に何度も立ち、勝てないまま終わった大会をいくつも重ねています。2015年に現役を引退しました。
この人から娘に伝えられること
見ている人が少なくても続けられることって、あなたには何かあるかな。
うまくいかない年が何回か続いたとき、やめるか続けるかは、何で決めたらいいと思う。
草間彌生(芸術)
草間彌生(くさま・やよい、1929年生まれ)は、水玉や網の模様をどこまでも繰り返す作品で知られる美術家です。長野県松本市に生まれ、子どものころから、目に映るものが点や網に覆われて見える体験があり、それを絵に描き続けました。家族から絵をやめるように言われても描くことをやめず、20代の終わりに単身でアメリカへ渡ります。
ニューヨークでは、部屋いっぱいに広がる作品や、鏡を使って果てのない空間をつくる展示を発表しました。外国から来た若い女性の作家が認められるのは簡単なことではありませんでしたが、彼女は自分のモチーフを手放しませんでした。1973年に日本へ帰国してからは、療養しながら、近くに構えたアトリエで制作を続けています。
70代、80代になっても新しい作品を発表し続け、世界各地の美術館で大きな個展が開かれてきました。東京には、彼女の名前がついた美術館もあります。子どものころに描いていた同じ模様を、何十年も描き続けた人です。
この人から娘に伝えられること
まわりの人にうまく説明できないものが自分の中にあるとき、それはどうしたらいいんだろう。
好きなことを一年ではなく何十年も続けたら、どんなことが起きると思う。
マララ・ユスフザイ(社会活動)
マララ・ユスフザイ(1997年生まれ)は、パキスタン北部のスワート地方で育ちました。父親が学校を営む家で、彼女自身も学校に通っていましたが、その地域を支配した武装勢力が、女の子が学校へ行くことを禁じます。マララさんは、学校に行けなくなった日々のことを発信し、教育を受ける権利について語り続けました。
2012年、通学のバスの中で銃撃され、重いけがを負います。イギリスに運ばれて治療を受け、回復したあとも、彼女は活動をやめませんでした。2013年、16歳の誕生日に国連本部で演説し、世界中の子どもが学校に通えるようにと訴えます。2014年にノーベル平和賞を受けました。史上最年少の受賞者です。
その後もイギリスで学び、オックスフォード大学を卒業しました。いまも、女の子が教育を受けられるようにするための活動を続けています。日本では学校に通うことが当たり前になっていますが、世界には、通うこと自体を守らなければならない場所があります。
この人から娘に伝えられること
あなたが毎日ふつうに通っている学校を、通えない子がいるとしたら、それはどうしてだろう。
こわい思いをしたあとでも同じことを言い続けるのは、どれくらい難しいことだと思う。
※内容は一般に公表されている情報をもとにしています。詳しく知りたい方は書籍や公式の資料をあたってください。